前回は、求核置換反応の一種であるSN2反応を扱った。
今回もそのSN2反応に関する内容である。
No.004 Walden反転
★概要★
炭素骨格と脱離基からなる基質が求核試薬によって攻撃され、脱離基と求核試薬が置き換わるという求核置換反応において、SN2反応では基質と脱離基間の結合の開裂と、基質と求核試薬間の結合の形成が同時に起こる。
Walden反転は、SN2反応の際に生じる現象である。
★機構★
前回、SN2反応では立体化学も考慮する必要があるということも述べたが、立体化学を考慮した結果起こっていると考えられている現象がWalden反転なのだ。
SN2反応は脱離と結合が同時に起こるために、求核試薬は脱離基が結合している側から近付くことはできない。もし同じ側から近付いてしまうと、脱離基が脱離する際に求核試薬が邪魔になってしまい、脱離する物も脱離できなくなってしまうのである。
そのため、この反応が起こるときは求核試薬は脱離基とは反対側から近付いていくことになる。一定距離まで近づくと、基質-脱離基間の結合が消失し始め、と同時に基質-求核試薬間の結合が形成し始める遷移状態に移行する。
そして更に求核試薬が近付くと、脱離基は基質から押し出されるような形で離れていき、基質-脱離期間の結合は完全に開裂。求核試薬と基質との間に新たな結合が完全に形成され、別の物質に変化する。
この、“押し出されるような形で”というところがポイントだ。
求核試薬と基質の結合形成と、脱離基と基質の結合開裂が起こるとき、求核試薬によって脱離基が押し出されるような格好になるというわけだが、押し出された結果、基質の立体化学が反転する。
R体だったものはS体に、S体だったものはR体に変化する、といった具合にだ。この立体化学の変換が、まさしくWalden反転と呼ばれているものだ。
この現象を解明するきっかけとなった人物が、反応の名称にもなっているドイツの化学者;Paul Waldenである。
彼は、(+)-リンゴ酸と(-)-リンゴ酸を置換反応によって相互変換することが出来ることに気付いたのである。
Waldenが実行したスキームは次のとおりである。
① (-)-リンゴ酸をエーテル中のPCl5で処理して(+)-クロロコハク酸を得る。
② 得られた(+)-クロロコハク酸を水分を含む酸化銀(Ⅰ)と反応させると、SN2反応が起こって(+)-リンゴ酸が生成する(この時点で+.-の立体化学が入れ替わっている)
③ この(+)-リンゴ酸を①と同様にエーテル中PCl5で処理すると、(-)-クロロコハク酸が得られる。
④ 最後に、②と同様に水分を含む酸化銀(Ⅰ)と(-)-クロロコハク酸と反応させると、(-)-リンゴ酸が得られ、また①の手順に戻ってサイクルを回す
…というように、Waldenはリンゴ酸の(+)と(-)の立体化学を容易に反転させることができる一連のサイクルを発見したのである。
この発見は、光学活性の分野においては化学史上最も優れた研究と評されることもあり、有機化学界に多大な影響を与えた反応である。
★関連語句★
求核置換反応、求電子置換反応、脱離反応、SN2反応
★参考文献★
1) 日本薬学会 編、知っておきたい有機反応100 第2版、東京化学同人、2019、pp.30,31
2) John McMurry 著, 伊東椒, 児玉三明 他 3名 訳、マクマリー有機化学(上) 第9版、東京化学同人、2017、p.351