マツダ R360クーペ(KRBB)
1960~66年式
福山時計自動車博物館にて 2013年8月5日撮影
マツダ最初の四輪乗用車。
…つまりそう。マツダ車の歴史はココから始まったと言っても過言ではありません。
初めて開発・販売した四輪乗用車が、手堅く売れるある程度のヒットが保障されたファミリーカーではなく、いくら四人乗りでも趣味車の領域に片足ツッコむクーペだったというのは、なんとも面白く、興味深いことだと思います。
個人的に考察をすると、こういう割り切ったクルマが最初に開発されるのも理にかなっていると結論付けられました。
なんでも、マツダは現在の日本の主要自動車メーカー10社(トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、三菱、スバル、スズキ、ダイハツ、いすゞ、日野)の中では四輪乗用車に参入した時期がかなり遅く、マツダより遅いのは1963年にS500を発売したホンダのみで、それも僅か3年の差です。
…なので、四輪車製造のノウハウもほとんど無いマツダが、既に幅広いシェアを持っている大メーカーに真っ向勝負しても勝ち目はないと考えたと思われます。要するに、軽や登録車ファミリーカーのような、他のメーカーがノウハウとシェアを手中にしているジャンルのクルマで勝負するのではなく、他のメーカーがあまり手を付けていない趣味車の分野で挑戦しようと考えたわけです。
その証拠に、“クーペ”という単語を車名用いたクルマは戦後においてはマツダが初めて。他のメーカーは手堅い商品ばかりのラインナップだったのでしょう。
また、マツダは三輪トラック業界においては、ダイハツとシェアのトップ争いをしていたくらいでしたから、別に四輪車がコケてもそこまでのダメージはないと考えたからこそ踏み切れた戦略でしょうね。
このクルマ作りで、ある程度のノウハウを得たマツダは、R360をベースに完全なるファミリーカーのキャロルを開発します。キャロルは、軽乗用車初の4ドア車というアピールポイントを引っ提げ、鳴り物入りで発売されたため大ヒット。そして、現在のマツダへと至ります。
現在とは異なるデザインのCIマーク。
内装。
ただでさえ小さいボディなのに、後席を無理やり突っ込んだのは凄いです。
どう見ても大人四人が乗れるとは思えません。まあ、ないよりはマシ…という考えに基づいているのでしょう。
メーター。
マツダ R360クーペ(KRBB)
1960~66年式
福山時計自動車博物館にて 2013年8月5日撮影
もう一台、この博物館にはR360がいました。
さすがマツダのお膝元に位置する博物館なだけはあります。
奥にいるぼかしがかかったクルマは後程登場します。メチャクチャに珍しいクルマなのでぼかしをかけたのです。