日野 ルノー(PA62)
1963年式
日本の名車歴史館にて 2015年8月5日撮影
ルノー4CVを日野がノックダウン生産した、日野ルノーという名前のRRセダンです。
日野初の乗用車でしたが、お初ながらも日野の生産技術は思いのほか高く、発売して5年で完全自社生産にまで漕ぎつけました。
日野ルノーの性能の高さで語り継がれた“神風タクシー”の逸話は有名ですね。
この博物館では赤色の日野ルノー後期型が展示されていましたが、赤色は地味に初めて見るような…。後期の日野ルノーと言えば、可愛らしい黄緑色のイメージが非常に強いので、正反対の赤色にはかなり新鮮味を感じました。
日野 コンテッサ
デラックス(PC10)
1961年式
日本の名車歴史館にて 2015年8月5日撮影
ノックダウン生産の成功により、乗用車製造のノウハウと乗用車メーカーとしてのブランドを身に着けた日野は、乗用車の開発に乗り出しました。その第一号車となったのが、このコンテッサという名前のセダンです。
日野ルノーがRRであったように、コンテッサもそれを受け継いで、乗用車としては珍しいRRレイアウトを採用。そのおかげでフロントグリルが不要になり、顔立ちはとても上品でスッキリとしております。コンテッサ(伯爵夫人)という名に恥じない佇まいですねぇ。
コンテッサは全く売れなかったというわけではないのですが、当然ですがこの大衆車のクラスはライバルもいます。
コンテッサは、日野ルノーの販売で得たタクシー会社のコネでタクシー用に納入されたばかりで、パブリカやコロナ・ブルーバードなどの強力な大衆車勢の勢いに押され、自家用車としては大ヒットというまではいきませんでした。
…というわけで、年式の古さも手伝って、現在見かけることは非常に稀です。
日野 コンテッサ 1300
デラックス(PD100D)
1967年式
日本の名車歴史館にて 2015年8月5日撮影
それでも日野は、乗用車市場に何とか喰い込もうと、PC10を大幅に改良したPD100:二代目コンテッサを開発しました。
デザインも初代より更に背が低くスポーティになり、下級グレード以外には高級感漂う四灯ライトを採用。それでいて、初代が持っていた伯爵夫人らしい高貴で上品な雰囲気は衰えておりません。エンジンの排気量も、非力な900ccからクラスを超えた1300ccまでに大幅アップ。このように、日野の強い執念を感じる素晴らしいモデルチェンジとなりました。
その甲斐あってか、博物館やイベントにおいては、初代よりはまだ見かける気がします。草ヒロでは全然見かけませんが…。
この流れに乗り、軽量化してモータースポーツ参戦用に製造されたコンテッサ1300Lという派生モデルまで市販されました。
…が、そんな日野の努力も虚しく、トヨタと提携関係を結ぶと同時に乗用車の製造からは手を引くことに。
現在コンテッサは、日野が嘗て乗用車を開発・製造していたことを示す貴重な遺産となっております。