日本の私立大学の最高峰として双璧を成している早稲田大学と慶應義塾大学。
早慶と一括りにされ、なにかと比較されることが多い、まさにライバル関係にあると言える両大学ですが、日本自動車博物館にもその様子を垣間見ることが出来るような展示車両が…?
キャデラック フェートン
1936年式
日本自動車博物館にて 2013年8月13日撮影
まずはこれ。
1936年式のキャデラック・フェートンです。
フロントグリルをご覧いただければお判りいただけるかと思いますが、早稲田大学の立派な校章が掲げられており、早稲田大学と何らかの関係がある車両だということが分かります。
…ということで、これは一体どのようなクルマなのかを説明するために、掲示されていたレジュメの内容を引用させていただきます。
早稲田大学体育局自動車部で管理された学生の教材に、或いは箱根駅伝の伴走車として活躍したこの車は、早稲田大学の旗艦として大きく君臨したのです。
その後、**氏(**)の熱意に依り維持管理され原形を継承することができたのであります。そして、この度はご厚意に依り当館に提供されました。
(原文ママ。ただし、引用するにあたって個人名と在住地は伏せておきました。)
早稲田大学の自動車部の部車として使われていた車両とのことです。
箱根駅伝の伴走車としても使われていたというのも驚きました。
そして、早稲田大学自動車部の部車と横並びに展示されていたのが…
クライスラー インペリアル
1935年式
日本自動車博物館にて 2013年8月13日撮影
早稲田のライバル、慶應義塾大学自動車部の部車でした。これは紛れもなく、早稲田 VS. 慶應 の構図。
早稲田のキャデラック同様、フロントグリルには慶應のシンボルマークがドンと掲げられています。
そして、早稲田大学自動車部が部車として使っていたキャデラックは、BIG3のゼネラルモーターズ(GM)のブランドでありましたが…慶應義塾大学自動車部が部車として使っていたのは、GMのライバルとなるBIG3のクライスラーでした。
GM VS. クライスラー。こういったところにも、早慶お互いの対抗意識というのが表れているのでしょうか笑
こちらの車両の説明も、レジュメから引用させていただきます。
この車は戦前から警視庁で使用されていたものを、戦後間もなく慶応義塾大学(慶応モーター研究会)が払下げを受けたのであります。
当時、慶応義塾大学が六大学の先頭を切ってこうした自動車を所有した事は歴史に大きく残る事であります。
その後、昭和26年にこの車は慶応モーター研究会だけでなく、医学部モーター研究会及び慶応義塾自動車協会の3団体が合同して慶応義塾体育会自動車部として発足したのであります。
現在は部の卒業生だけで500名を越えると言われております。
そして、全日本学生自動車連盟の中核として各種協議会・レース国内外遠征・学生モータースポーツにそして本塾要人の送迎等に大活躍をしていました。
昭和56年、**主将(51年卒)時代当義塾のご好意と当義塾0Bの**様(**在住)の御世話に依り日本自動車博物館へ提供される運びと相成った次第です。
(原文ママ。ただし、引用するにあたって個人名と在住地は伏せておきました。)
文中にある六大学というのは、ご存知の方はご存知でしょうが、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、立教大学、法政大学の東京六大学のこと。いわゆる“東京一工”、“早慶上理ICU”や“MARCH”と呼ばれる、大学受験生にとってはお馴染みの大学群とは異なり、受験というよりはスポーツでよく使われる大学群です。
この説明文によると、六大学の中では大学所有の自動車を最も早く導入したということになります。
導入の早さで勝敗を決めるとなると…自動車部早慶戦、今回は、慶應に軍配が上がりそうですね。